2011-10-12
とってもマクロビ生活 ②下山
とってもマクロビ生活 ②下山
7日間の完全断食を終えて下山。
都内の排気ガスのすさまじさに目が痛い。こんな悪い空気の中で生活していたのかと愕然とする。
体が浄化された分、今まで平気で生きてきた都会の環境というものがいかに生き物にとって過酷であるかを知った気がする。
しかし、自分自身の体調はすこぶるよく、調子に乗ってあと2日断食を続行する。
仕事をしながらであるが、別に食べないだけなので、楽と言えば楽である。食事に使っていた消化エネルギーを使わなくていいから、ヘンに元気である。
さて翌日から補食の開始である。実は断食で一番大事なのは断食後の補食であると言われている。
そして、ほとんどの人が失敗するのもここである。
一合の半分にも満たない玄米とあずきを気長に煮てお粥を作り、これを一日三回に分けていただく。
塩しか味のないおかゆであるが、玄米のおいしさにまず唖然とする。
3日目くらいからは具のない味噌汁を飲めるのだが、こんなにもおいしかったかと、これまた味噌の風味に本当感動である。化学調味料にまみれた食材を一切絶ってみると、食物本来の持つうまみが初めて見えてくるのである。
成人して以来、2週間近くも酒を飲まなかったのも初めてである。
何がすごいって、とにかく夜が長い。
暗くなってから夜が明けるまでのほとんどの時間をアルコールを分解するために使っていたのではないかと思われるほどである。
その必要がないから、やたらと夜が長い。本もずいぶん読んだ。
そして、その後どうなったかというと、悲しいかな、何となく元の生活に戻ってしまった。
原因はいろいろあるが、何が一番原因かと言えば「つきあい酒」である。
最初のうちはいちいち相手にカミングアウトして、断食の話を熱く語り、(語られた方もいい迷惑だっただろう)
居酒屋で平気で水とか飲んでいたが、客商売という商売柄そうもいかない。
結局半月も絶たぬうちに焼き鳥にビールという生活が待っていたのである。
なまじ真実のあるべき姿を知ってしまっただけに、こうなってみると前よりなお、不健康になったような気すらしてくるから不思議だ、、、、。
そんな風にして、罪の意識を抱えながら反省と後の日々を送る塾長であったが、
天は奇跡の出会いを用意してくれていたのである。(続く)。
2011-10-12
とってもマクロビ生活 ① 断食
とってもマクロビ生活 ①断食
今年の春、例年の如く、スギ花粉の猛攻に為すすべもなく翻弄されていたとき、ひょんなことから、アレルギーには断食療法が効くとの情報を得た。
藁にもすがる思いで、千葉の君津にある断食道場に一週間籠ることにした。
断食と言っても、水分と、必須ミネラル等を含んだ酵素のジュースを飲みながらなのでそれほど空腹は感じなかった。
それより何より問題は、眠い、とにかく眠い。食事をしないから時間はあるのだが、午後6時くらいには寝てしまい、
朝7時の入浴時間までは爆睡している。
私がお世話になった断食道場では、おがくずを発酵させたおがくず風呂に1日3回入るのだが、
これが結構熱くてしんどい。
カブトムシの幼虫になったような気分である。その心地よい疲れもあってかとにかくよく寝た。
この状態で体中の毒素を出しているらしい。
断食をはじめて3日目、思い切って付近の山を散策してみた。
山の主な樹木はスギであったため、外出するには勇気が必要だったが、二三回鼻をかんだくらいで、ひどい発作も起きない。
むろん、断食をはじめてから薬も飲んでいないのにである。
それに感性も恐ろしいくらい研ぎすまされてきており、体中が漂白されたような気がする。
この時は、今なら後ろから切りかかられてもかわせるな、と思ったものである。
断食道場では、毎日午後から食事療法を中心とした講義があるのだが、基本的な食事理念は「玄米正食」といって、玄米とごま塩、梅干し番茶といったものだけしからないというものである。
玄米菜食よりさらに突き詰めた究極の仙人食である。
そんなこと無理にきまってるじゃんといわれるかもしれないが、
山の道場に籠もっていたときは、本当にこれから一生この玄米正食で生きていこうと決意していたのである。
本当である。
人生に必要なものは実はそれほど多くないということに気づかされ、
家に帰ったら、山ほど持っているサプリメントや健康食品の類、美容機器、化粧品の類はすべて捨ててシンプルに暮らそうという決意までしていたのである。
ところで、興味がある方もいると思うので、お伝えするが、7日間の完全断食で何キロやせたかというと、ほとんどゼロである。
そんなばかなと思うかもしれないが、本当である。
人間というのはつくづく不思議である。体も調子いいし、動きのきれもいい、今まで食べていたのは何の為だったのかという感じである。ただ、服のサイズだけはかなりダウンした。
あるべきところにお肉が移動したというのが正解かもしれない。
そして、下山の日が迫ってきた。(つづく)
2010-08-18
勘違い子育て⑨「わかったよ、うるせーな」事件
息子が物心ついたころ、保育園で流行っていたのか、私のことを「お母ちゃん」と呼び出した。
もちろん、そんな着物に割烹着みたいな名前で呼ばれるのはごめん被るので息子に対し、「母上」か、「ママ」かどちらを選べと迫った。
結果、未だに息子からはママと言われている。
まあ、ある程度は趣味の問題もあるのだろうが、子供の言葉遣いについては
原則 親がコントロールすることが重要だと考えている。
我が家では長幼の序が重要視されているので、親に変な言葉をいう事は
許していない。
破ったら鉄拳制裁である(やったことないけど)。
いつか、朝、私が息子のお弁当を作っていたときに、どうも早く登校しなくては
ならないことを気づいた息子が焦って「急いで!」と言ったので、カチンと来て
「誰に向かってものを言っている!」と、台所から包丁を持ったまま、出ていき怒った。
それを見てびびった息子があわてて一言。
「お母様、お願いです、お弁当急いでくださりませ」。
しかし、結構ひどい言葉遣いを子供にされて怒らない親は多いらしい。
もう10年近く前だが、数家族で沖縄に旅行したときに、帰ってきてから、息子が私に「ねえ、僕がママの事、くそばばばあって言ったら、ママどうする?」
と不思議な事を聞いてきた。
何だろ突然とは思ったが、「もちろん、ぐるぐる巻きにしてマンションの屋上からつるしてやるよ(しないけど)」と応えた(冗談だってば)。
すると、息子が「、、、、、、やっぱ、そうだよね、、、。」としんみり言っている。
なんだなんだ、いったい何があったんだと聞いたところ、旅行中にレストランで食事をしていたときに、ある家の息子さんが、自分の母親に向かって何が気にくわなかったのか、「くそばばばあ」と言ったらしい。
息子はそれを目の前で見て、大変なショックを受け、あとでその子に向かって
「お母さんにあんな口の利き方をしてはいけない」と必死で諭したのだが全くその子が平然としているし、母親も怒らなかったことに逆に相当なカルチャーショックを受けたらしい。
ま、よそんちはよそんちであるが。
我が家では、未だにこういう事は許していない。
まあ陰で何を言っているかまでは把握しきれないが。
息子が、中学生になった頃だったと思うが、宿題もせずに、居間でテレビゲームをしているので「いつまでもやっていないで、片付けなさいよ」と声をかけたことがあった。
すると、息子が「わかったよ」と言ったのはいいのだが、そのあと「うるせーな」の一言。
それにぶち切れて、「なんだとー!もういっぺん言ってみろ!」と一喝した。
息子はあわあわと口パクもので、「いや、ですからね、そうではなくて、そういうことではなくて、、、、」と訳のわからないことをいっている。
何を言っているんだと、聞いたところ、私に声をかけられて、わかったよと言いながらゲーム機を片付けようとしたら、間違ってボリュームのところをいじったものだから
大きい音が出てしまい「うるせーな」と独り言を言ったらしい。
自分でも、この「わかったよ」と「うるせーな」の間隔が短かったので、あ、誤解されると困るなと思って、それを言おうとしたが、時遅し。
頭上から「なんだとー」と浴びせられたらしい。
紛らわしいことしないでよと、わかればどうって事はないから笑って終わったが息子の方はすっかりげんなりしていた。
ま、そんなこんなはあるが、我が家では最近、娘の慇懃無礼の方が問題となっている。
私が、前の晩に話したことを酔っぱらって忘れ、次の日に同じ事を娘に尋ねると、冷たく一言。
「夕べも言いましたけど、、、」
この言い方が、結構辛辣できついのである。
聞いた事を忘れた自分に しまった と思っているから、冷たく言われると結構堪えるのだ。
ぐさっと来るのである。
ああ、これに比べれば「くそばばあ」など可愛かったかも、、、、。
2010-08-18
勘違い子育て⑧「ポケモン禁止令」
先日、ドリフターズの特別番組をテレビでやっていた。
番組はどちらかというと、いかりや長介さんの追悼番組という感じで、ドリフターズの人気番組「全員集合」も、その流れで、過去の偉大な番組という感じで紹介されていた。
しかし、しかしである。
この番組が子供に見せてはいけない番組と言われ、ワースト3に入っていたのを皆さん覚えているのだろうか。
教育的見地からは、俗悪番組とされていたのである。
私も昔、甥っ子の手を引いてたまたま「カラスなぜ泣くの」と童謡を歌ってあげたら続けて「カラスの勝手でしょ」と歌われて焦った覚えがある。
まあ、こんなところが、世の親たちにたたかれたんだろう。
いつの世も子供に何を見せたらいいか、見せたら行けないかの判断は子供を持つ親にとっては永久に難問である。
で、ポケモンである。
我が家の子供たちの小さい頃のことであるが、私は、世の子供たちが騒いでいるのも知っていたし、人気のキャラクターも知ってはいたが、どんなストーリーなのかということは、興味が無かったせいか全く知らなかった。
映画に連れて行ってあげたこともあるのだが、前座の「ピカチュウの夏休み」という短編で爆睡し、本編は全く見なかったので、内容など全くわからなかった。
ところが、もう10年近く前になるが、ご記憶の方もおられるのではなかろうか
暗い部屋でポケモンのテレビアニメを見ていて、めまいがしたりして具合が悪くなる子供が続出し、社会問題になったことがあったのを。
我が家では問題になった回はたまたま誰も見ていなかったが、そんなに大問題ならば見てみようということで、翌週の放送を子供と一緒に初めて見た。
驚いた。
光が、画面の構成が、などということではない。
その話のひどさに仰天したのである。
ポケモンというのは、簡単に言えば、主人公たちが、ポケットモンスターというボールに入ったモンスターを持っていて、それを戦わせて勝ち負けを競うと言う話である。
もちろん、戦わされるモンスターたちには戦わなければならない必要性などないのに戦うのも、戦って傷つくのも、全部モンスターたちであり、
主人公は「いけー」とか
「やれー」とか言っているだけである。
あきれてものも言えぬ。戦いたいなら自分で戦え。
何の罪もないモンスターたちに戦わせて、自分は後ろからかけ声かけてるだけなど卑劣の極み、男子のなすことではない。
言語道断である。
即刻、我が家ではこのような番組は一切見てはいけないと禁止。
「ポケモン禁止令」である。
まあ、のちほど、これはゲームソフトのなれの果ての番組であって、もともとゲームでゲットしたモンスターを使って競って行くというゲームのルールからはじまったものらしいので、こういうストーリー展開になっていくのは仕方の無いことなのだということは追々わかったが、それでも気持ちの悪さは結局払拭しきれなかった。
我が家の子供たちは、それほどの執着もなかったのか、禁止令に抵抗するでもなく
「あっ、そう」という感じでポケモンは見なくなってそれっきりである。
意外にこんなものかもしれぬ。
親が心配するほど、子供たちは見境が無いのではなく、けっこうフィクションの世界はフィクションとしてとらえているのかもしれない。
そういえば昨今、映画アバターを見た人たちが、映画館から出て、今見ていた美しい虚構の世界と現実の世界のギャップに苦しんで鬱になるというような信じられないニュースが報道されていた。
現実とフィクションの境目をを見失って、病んでいくのはむしろ大人たちなのかもしれない。
2010-07-09
勘違い子育て⑦「お嬢のできあがり」
息子が2歳半の時、娘が生まれた。
塾長の兄弟たちの所には、うちの息子もいれて男ばかり7人も生まれていたから
祖父母にとっては最初の女の孫である。
そりゃあもう、可愛がることしきりであった。
我が家においても、2人目というのはゆとりができるせいか、可愛いと感じる感覚が
1人目の時より多くあるような気がする。
1人目の時は毎日夢中で、可愛いんだけど、しみじみそれに浸っている暇はなかった
ような気がするからか。
息子もそれは妹をかわいがった。
よく、下が生まれると上が赤ちゃん返りするような事を聞くが、我が家に限っては
記憶がない。
息子と一緒に楽しんで娘を可愛がったように思う。
しかし、みんなで可愛がって甘やかしたものだから、まあ、わがままである。
しかも、そのことを周囲もみんな許しているし、許しているどころか、そのわがまますら
可愛いと思っているから始末が悪い。
特に息子の妹に対する愛情の注ぎ方は並ではなかった。
まだ自分だっておチビのくせに、先にお風呂から上がって、娘がお風呂から上がると
バスタオルを持ってきて全部拭いてあげる。
娘なんか、両手を広げて立っているだけである。
ある時、息子が保育園で遊びすぎて疲れたようで
「ママ、僕もう疲れて、今夜はお世話できないからね」と言ってきた。
途端に娘が怒って、「じゃあ、アタシのお世話は誰がしてくれるの!」である。
こらこら、お兄ちゃんはあんたの召使いじゃないんだから、、、、。
それでも、めげることなく、兄は妹を可愛がり、暑い日に妹が昼寝していると
何度も様子を見に行き、目が覚めると「冷たい麦茶飲む?、おいしいよ」といって
かいがいしく麦茶を持って行ってあげる。
そんなこんなで娘は、まったりのんびりした性格である。
何でも周りが面倒見てくれるから、困らないので、かりかりしたところがまったくない。
色々与えてくれるから、特に「あれほしい」「これほしい」と言ったことがない。
お嬢というのはまったりした性格になるものだと聞いたことがあるが、なるほどである。
しかし、お嬢はやはり女王様である。
3歳くらいの時、朝保育園にいくのにパパが保育園から借りてきた本を保育園バックに
入れるべきなのかどうか迷って、娘に「これはどうするんだ、こっちの本は借りてきた
ばかりじゃないのか、これはもう返すのか、それとこっちはどうなんだ」とごちゃごちゃ
言っていたところ、娘が一言
「いいから、入れて」
「、、、、。」
お嬢のできあがりである。
2010-06-16
勘違い子育て⑥「最初の作文」
息子が小学校に入ったとき、学校から「持ち物には全て名前を書いてください」
と言われたので、一生懸命書きながらふと思った。
ちょっと待って、うちの息子、自分の名前読めないのに、どうやってこれが
自分の持ち物だと識別するわけ?
今時信じられない話しかもしれないが、保育園というのは、体力重視で
社会性重視であるから、頭でっかちな教育は一切しない。
だから、学齢までに逆上がりはできるようになるし、自転車も乗れるようになるが
文字は読めない、もちろん書けない。
世の親が聞いたら卒倒しそうな話だろうが、別にかまわんと思ってた。
なにせ塾長の子育てのポリシーは
「20歳の日本人がふつうにやっていることは子供の頃にムリにやらせない」
だったから、文盲がほとんどいない日本の現状を考えて、ほっておいた。
ただ、英語だけは20歳で話せる日本人は(自分も入れて)わずかであるから
これは先生につけたけどね。
おかげで今では、ハワイに行っても、現地人の冗談に息子だけが笑っている。
やなヤツ。
話は戻るが、息子は何となく自分の名前の文字の固まりを形としてわかる
らしくて、持ち物の識別は大丈夫だったそうだ。
しかし、息子に文字を教えた1年生の担任には、相当苦労をかけたようで
家庭訪問の際に
「一時はどうなることかと思いました」
としっかり、苦言を呈されてしまった。
すみませんである。
ただ、この担任とてもいい方で、教師の鏡のような方だったから、こんな息子も
しっかり教育して、半年もたたぬうちに見事文盲を脱出させてくれた。
その最初の作文がこれである。
「ぼくは、このあいだ、ほいくえんのともだちと、ままたちと、にほんかいしょうや
(日本海庄屋のこと、言わずとしれた居酒屋である)に、よなかの2じまでいました。
ねむかったけどとてもたのしかったです」
読んで卒倒しそうになった。
すでに先生の添削がついているということは先生これを読んだわけかー。
勘弁してくれよ、、、。
保育園のママさんたちの宴会に皆子供同伴できて、居酒屋で夜中まで
どんちゃん騒ぎをしたときの図である。
参った。
このあと保護者会で先生と目を合わせられなかったことはいうまでもない。
2010-06-01
日本人と皇室。
本日は日本人にとって、とってもデリケートな問題について一言。
あの愛子様がいじめにあっているという。驚いた。あの天下の学習院
でである。
なんということであろうかと胸が痛む。乱暴な男子がいるという。驚いた。
学習院というのはみんな宮様の子弟だと思っていたのに、やめてくれよである。
でも、私に限らず、ショックを受けた日本人は多いのではないだろうか。
日本人の多くは、意味もなく皇室に愛着を持っている。
愛情と言ってもいいのかもしれない。
皇太子ご成婚のフィーバー、愛子様が生まれたときの喜びよう、さらには
秋篠宮に男児誕生の大騒ぎ、、、。
我が事のように喜ぶというのが言いすぎだとしても、ほとんどの国民が好意を
もって受け止めていることは確かであろう。
そして、天皇陛下が愛子様の問題について「誰かが犠牲になると言う解決を
しないように」とのたまった事などを聞くと、うーむさすがに天皇陛下、よいことを
おっしゃるなどと感心したりしてしまうのである。
もちろん、適応障害と言われたまま、雅子様がちっとも治らないこと。
あれほど愛嬌を振りまいていた愛子様が全く人前で笑わなくなったこと
最近の皇太子殿下の発言に危険な愚痴っぽいところが多々出てくること
などを見ていると、皇室もきっと中は大変なんだろうということくらいわかる。
しかし、だからヘンだ嫌いだではなくて、おつらいだろう、大変だろうという感想に
ベクトルが動くところが日本人の皇室に対する感覚の不思議さである。
話は変わるが、塾長の事務所の前の道路はよく皇室の方が車で通られる。
先日、横断歩道を渡ろうと赤信号を待っていたところ、いつまで経っても信号
が青にならない。
何も考えず、ぼんやり立っていた私が、さすがに、こりゃ長すぎないかい?
とヘンに思い始めたころ、信号待ちしている他の歩行者もざわざわとし始めた。
と、つかつかと進み出た黒服の男性が
「すみません、もうすぐ皇太子殿下がお通りになります」
と説明をし出した。
警備関係者らしいその人の言葉があったとたんに、待っていた人たちから
「きゃー」「ホント?」などと嬌声がもれ、ほとんどの人があわてて携帯を取り
出して撮影の準備を始めた。
まもなく、皇太子殿下が本当にお車に乗ってお通りになり、一瞬ではあったが
沿道で携帯を構えている私らに手を振ってにこやかに挨拶されていった。
もうみんなきゃーきゃーわーわー大騒ぎである。
手を振ってくれた、笑った、撮った撮ったと、さっきまで不機嫌な顔をして信号
待ちをしていた人たちとは思えない高揚ぶりである。
これが皇室に対する国民の感情の基盤であり、皇室の方たちがだからこそ
常に笑顔でいなければならない理由であろう。
こういうの、私は、実は、嫌い、、、、、ではない。
2010-05-18
勘違い子育て⑤「子供の体重」
子供の成長に一喜一憂するのは親の常、愛情の表れであり、それはとても
ありがたいことである。
しかし、前に3ヶ月検診の話の時も書いたが、あまりにナーバスになるのは
考え物である。個人差というのは相当大きいものだと割り切っていた方がいい。
しかし、あまりに無頓着なのも問題で、このことでは恥ずかしながら何度も
赤面の思いをした。反省することしきりである。
娘が学齢前だったと思うが、おなかを下して熱も出てきたので、すわ食中毒かと
あわてて救急病院へ行った。
とりあえず心配なほどではないとのことで、解熱剤と整腸剤を出してもらって
様子をみることになり、医者に聞かれた。
「お嬢さんの体重は?」。
薬剤の量を決めるのに必要らしいんだが、困った。まるでわからない。
「えーと、14キロか15キロか、いや、16キロくらいあるのかな
(もしかしたら20キロ以上あるのだろうか)、、、、」
そもそも子供ってどのくらいの体重なんだっけ?
詰まっているのを見て、お医者さんが笑い出した。
「要するに知らないわけですね」
「すみません」
赤面の至りである。
「いいですよ、こっちではかりますから」と言われたが、なんか親失格
だと言われたようでへこんだ。
息子の時にはもっとあわてた。
うちの息子は小さい方だとは思っていたが、小学校の時に仲のよかった
近所の男の子が似たような大きさだったので、小さいと言ってもまあ世間なみ
こんなもんだろうと何も心配していなかった。
ところが、中学校の入学式に行って驚いた、ほかの子供がとてつもなくでかい。
というようり、うちの息子が笑っちゃうくらい小さい!
「何であんたこんなにチビなのー」 現実に気付いて夫ともども絶句である。
顔からしておじさん然としている子供も多かったし、身長なんか大人と同じくらいの
子がほとんどである。
よその子のほとんどが最低でも頭一つ分くらいうちの息子より大きい。
息子を見ているとどう見ても小学生が間違えて学生服を着ているとしか
見えなかった。
あわてるやら焦るやら、でもちょっと可愛かったりして、悲喜こもごもであった。
とはいえ、そんなだった息子も今では身長170センチを優に超え、まるで
おっさんである。
人間という動物の成長の不思議を見る思いだ。
2010-05-06
勘違い子育て④「3ヶ月検診」
息子が生まれて3ヶ月、保健所から健診の通知が来た。
当時私は司法修習生であったが、地方での実務修習が終わり、湯島研修所に
戻り、後期修習が始まったばかりであったから、結構勉強が大変だった。
大事な授業を休みたくなかったので夫と都合を調整したが、弁護士である夫は
既にその日法廷が入っており、仕方なく、私が研修所を休んで息子も保育園を
休ませて、保健所まで出かけていった。
さて、保健所について、息子の健康診断があって、このあたりはよかったんだが
その次に母親の健康診断を行うと言われて、いきなりブチ切れた。
保健所からの呼び出しには、母親が子供を連れて来てくれという文言はどこにも
なかったのである。
私ら夫婦にとっては、都合をやりくりした結果、私が来たのはただの偶然である。
夫が来てたらどうするんだ、父親健診でもする気だったのか?
私も若かった。
子供の健診は母親が連れてくるものという、その固定観念に我慢が出来なかった
のである。
そして、一度それで頭にくると、保健所側のすることなすこといちいちいらいらしてきた。
保健婦さんの「何か成長でご心配な点はありますか」との問いかけにも、「あればとっくに
病院にいっています」と言い出す始末。
今考えると何であんなにとんがっていたんだろう、、、。
とにかく、あのころは「ジェンダー」という言葉を使うかどうかはともかく(実際この言葉
日本では使い方に間違いがあるようだ)、性差による役割分担の固定観念を見せられると
もう何の歯止めも効かないほど自分のなかでいつも何かが音を立ててぷっつんしたのである。
結局、グループミーティングという名の下に、母親たちの世間話(としか思えなかった)が
始まった時点で、耐えられなくなって、途中で帰ってしまった。
まあ保健所の対応にもそれなりに問題はあったとは思うけどね。
私の姉なんか甥っ子の3ヶ月検診のとき、3ヶ月にしては体重が少ないと保健婦さんに
言われて、母乳だからしまって育つし(これはホント)、個人差もあるから心配ないと抗弁しても
保健婦さんがマニュアル通りでないと納得しなくてさんざん文句を付けたので、ぶち切れて
「所長を呼べ」となったらしい。
二人で大笑いして、実家の母親に「ところで、お母さんはどうだった?」と聞いたところ
母親いわく
「仕事で忙しかったから3ヶ月健診なんて、どの子の時もいったことないもん、わかんない」 だと!
この親にしてこの子ありか、、、、。
2010-04-19
勘違い子育て③「夜泣きの続き」
突如始まった夜泣きはそれから毎晩、体にタイマーでも仕込んであるかのように
きちんと繰り返された。
夜泣きだとわかっているならほっといて寝てればいいじゃないか、なんていうのは
未経験者の発想である。
あの鳴き声を聞いたら、たとえ抱いたって効果なしでも、必死で抱き上げてよしよし
するのが親というものである。
どんな鈍い親でも、親というものは泣かれれば何ともならなくても何かしていない
ではいられないのである。
とりあえず抱いてあやす
全く効果なし
10分経過
20分経過
「ちょっとちょっと、パス」 夫に声をかける
夫が何とか寝ぼけ眼で起きあがり、息子を受け取る、まさにラグビーのパス状態である。
パスしたら、即寝る、何が何でも寝る。泣こうがわめこうが、夫に任せて寝る。
眠れなくても寝る。
じきに夫からSOSが来る。起きあがってまた息子をパスで受け取る。
よくもまあ元気に泣くものである、そしてあやして疲れるとまたパス、寝ているとまた
パスで起こされる。
こうやって何時間もパス、パス、パスを繰り返す。
どこで何がどうなって決着が付いたのかわからずに、全員行き倒れで朝を迎える。
これが毎晩である。
何とかこれを防ぐ方法はないものかと、人づてに宇津救命丸が良いと聞き
飲ませるが、吐きだしてしまう。
一計を案じて、離乳食に混ぜて食べさせると、もぐもぐした後、器用にこの丸薬だけを
舌の上に乗っけて「べー」と出してみせる。
腹が立つのを忘れて笑ってしまう。
何でこんな器用な事できるんだ?
寝しなに熱い湯に入れると夜泣きをしないという噂を聞き、試してみる、全くのガセネタ
であった。
熱い湯にびっくりして、宵の口から夜中まで泣き続けられひどい目にあった。
昼間運動をさせると泣かないという説も聞き、一生懸命ボールを放って「そーら、とってこい」
なんてやってみたが、息子は転がっていくボールを見て、ため息をつくばかりで全く興味を
示さない。自分でボールを拾うを繰り返し、疲れたのは親だけであった。
結局あの手この手で試してみたが、これといった解決は全く見あたらなかった。
永続的な寝不足で、もう倒れそうな日々であった。
え?よく首を絞めなかったって?
だって、そりゃあもう可愛いんだもん。
寝る顔も夜泣きする顔もそりゃあ可愛いいんですもん。
これをみちゃったら、もう抵抗できませんよ。
赤ん坊の唯一の武器はこの可愛さなんだろうなと実感したのでありました。
2010-04-01
勘違い子育て②「夜泣き」
それが始まった最初の夜を未だに忘れられない。
生後3ヶ月くらいか、、、、夜中に突然息子が泣き出した。
「火が点いたように泣く」とは本当によく言ったものだ。
火でも押しつけられたらこんな風に泣くのではないか(試してないけど)と
納得できるようなすさまじい泣き方で泣く、泣く、ひたすら泣く。
親は何が起こったのかわからず、うろたえる。
何か刺さっているんじゃないかと裸にして全部見て見たが、どこにも異常はない。
1、2時間様子を見たが、ずっと泣いている。
原因が検討もつかない。
結局、お風呂に入れたときに耳に水でも入ったか、ということになり、夫と相談して
とにかく救急病院へ行こうと言うことになった。
しかし、夜中の2時か3時頃である。
と、とりあえずタクシーを呼んで、救急病院にも電話をしといて、あ、こっちはパジャマだわ
着替えなくては、、、、、とおたおたしていたら、夫が一言。
「ねえ、寝てるんだけど、、、、」
「へっ?」
言われて気づく、いつの間にか息子は寝ている。
夫と二人で、息子の寝顔を見て、呆然としてしまった。
寝ているどころではない、爆睡である。
実に気持ちよさそうに寝ている。
なんだったんだ、いったい・・・。
何がなんだか訳がわからなかったが、とにかく大丈夫だろうということになり、寝直した。
しかし、全然大丈夫ではなかったのである。
これがこの後、2年間1日の休みもなく続くのである。
記念すべき「夜泣き」開始の一夜であった。
2010-03-13
『私の素敵な』オリンピック物語
バンクーバー五輪が閉幕した。
とにかく、フィギュアである。高橋である。
私のオリンピックはそれに尽きた感じた。
手足の長い生まれ持っての王子様たちに混じって、日本男子があの表現力である
世界一のステップである。立派である。
そして、何より、お母さんが理髪店で働いて支え、本人は怪我から激烈なリハビリに
耐えて奇跡の復活を遂げ、スタッフたちがチーム高橋を組んで支えというこの物語である。
そして挑戦しなかったら後悔すると4回転に挑んでという本人の心意気である。
もう、「私の素敵な」オリンピック物語っちゅう感じで、オリンピック前半にしてすでに満腹。
女子フィギュアは余裕で見ていたな。
オリンピックがある度に思う。
オリンピックって、見ている人がみんな、それぞれに「私の素敵なオリンピック物語」をみせろ
と要求しているんじゃないのかな、そして、オリンピックに出ている側も、なんかそれに応えないと
いけないというような雰囲気で本来の勝敗以上に熱くなっているんじゃないんだろうか。
だから、国母選手問題である。
私はうちの息子であの程度の服装は免疫が付いているのであまり違和感はなかったが
(さすがにドレッドヘアはちょっとびっくりしたが)、なんと試合に出場させないことにしようかどうか
と言うところまでいったんだそうだ。
なんでまた、そこまでいっちゃうの。
余り丁寧に報道を見ていなかったため、その騒ぎの本質がわからずにしばらくは非常に驚いた。
結局、子供らからの情報で、服装がどうのこうのより、記者会見の時に、国母選手が
「反省してマース」という、「何で反省なんかしなきゃいけないんだよ」と言っているに等しい返答を
したことと、それに加えて「ち、うるせえな」という言葉をマイクが拾っちまったらしい、ということが
怒濤のバッシングのトリガーを引いたらしいということが漸くわかった。
わかったけど、大人げなくないかい?もちろん、騒いでいる方が。
たしかに、選手の方も、選手なんだから試合だけ集中していれば文句あっか、と言う気持ちは
わかるけど、オリンピックがここまでの国策騒ぎになっちゃっている以上そうもいかないでしょう。
記者会見で「自分の服装は自分のファッションとして信念は持っているが、見る人によって
不快を感じたのならすみません」くらいいっときゃ問題はなかっただろうと思うよ。
だけど、実際、雪の中で走り回るのも、つらい練習するのも、緊張に耐えながらプレーするのも
選手であって、見ている観客じゃないんだから、どうこう言う前に、観客はそのこともふくめて
「オリンピック物語」として受け入れないといけないんじゃなかろうか。
まあ結局、国母選手は、日本人みんなが期待していた「私の素敵なオリンピック物語」に水を
差したんだろうな。
そういえば、昔もいたな、こういうシチュエーションでマスコミに血祭りにされた女子水泳選手。
美人なのに愛想がなくて、国のために泳いでいるんじゃないくらいの事を平気で言っていたと思う。
私に言わせりゃ当たり前の発言で、観客がどう思いこんで入れ込んで見るかは観客の問題なん
だから、別にそれでかまわないと思うけど。
なんか当時すごい勢いでバッシングされていたように思う。
私も今回自分で「私の素敵な」オリンピック物語に浸っちゃったけど、これで、高橋選手がなんか
悪いこと(ちょっと思いつかないが、たとえば酔っぱらい運転とか、、、高橋選手ゴメン)とかしたら
どうなんだろう。
きっとみんないい思いに酔った分の裏返してすごいバッシングするんだろうな、、、、。
私?私はしないよ。
そりゃ、「えー?」、とは思うかもしれないけど、それから先は見ないもん、「私の素敵なオリンピック
物語をどうしてくれるのよ」とまで騒ぎ立てるつもりはないね。
私の素敵なオリンピック物語は、やっぱり所詮は、「物語」だものね。
2010-03-01
「シリーズONの時代」に思う。
NHKのドキュメント「シリーズONの時代2」を見た時のこと。
衝撃映像であった。
あの長島が脳梗塞で麻痺した体を隠そうともせず、不自由な口調で
一生懸命話している。リハビリ姿も一挙公開である。
何よりの衝撃は、この映像と交互に彼の絶頂期の映像がまるで
今の事のように映し出されることである。
輝くようなエネルギーとオーラを振りまいてマウンドを駆け回る長島の
映像と、不自由な体で一つ一つ確認するように話し、片足を引きづり
ながら歩く長島の映が交互に映し出される。時間というもの、時の流れの
残酷さ、厳粛さを映像という形で、突きつけられる。
お前もこうなるぞと言われている様な気がする。
人間の決して逃れられぬ運命である「老い」というものを強烈に自覚させ
られた一瞬であった。
てなわけで、敬虔な気持ちに浸った塾長であったが、実は白状するが
塾長は野球がよくわからない。
というよりほとんどちんぷんかんぷんである。
日本にある球団の全部をいえる自信はない。
それより何より、野球のルールがよくわからない。
塾長も子供の頃には近所の悪ガキと空き地で野球をやったりしたが
人数が足りなくて、だいたい三塁を守っているのは犬だった。
こいつが、玉をとるとくわえ込んで絶対に離してくれず、みんなでゲーム
そっちのけで犬を追っかけたものだった。
何をやっていたんだか、、、、。
それでも、ONは好きであった。わかりやすいからである。
だってホームランならルールは知らなくてもわかるからね。
内野でタッチしないとアウトにならない場合と、自分の進む塁にボールが
届いていればアウトになる場合とどう違うのかわからなくたって、フライを
捕った後走れば点になる場合となんない場合とかわからなくたって
ホームランはホームラン。
このわかりやすさが絶大な人気を産んだのではなかろうか。
ピッチャーにしても奪三振記録なんかを更新しているピッチャーはわかるけど
打たせてとるピッチャーというのはうまいんだか下手なんだかよくわからなかったな、、、。
そもそもこういうとんちんかんな感覚になったのは育ちに問題があるような
気がする。
私の育った実家はスポーツ報道に全く無関心な家であった。
特に応援する球団も選手もいなくて,ONだけはへーすごいねーと見ている
だけのような家族であった。
ある日、野球中継も終盤戦、9回の裏、ツーアウト満塁一打逆転のチャンスと
アナウンサーが叫んでいたとき、父親は「さーて風呂に入るか」と行ってしまい
母親は「お茶をもう一杯」と台所に立ってしまい、兄はよく見たら漫画を読んでいた。
責任を感じて一生懸命見ていた私だが、一打逆転でサヨナラで決着が付いた後
唯一多少野球に関心があった姉が帰宅して、「どっちが勝った」と聞いてきたので
「9回裏ツーアウトから満塁ホームランだぜ、すげーだろ」と得意げにいった。
「だから、どっちのチームが」「、、、、、」そもそもどことどこが試合やっているのか
さえわかっていなかったのだった。
2010-01-08
塾長の勘違い子育て①「朝までやろうじゃないか」
生まれる前は「早く生まれてほしい」と切に願ったものだが、生まれた後の
大変さを全く考えていなかった。
生まれてしまえば全てうまくいくと思っていたのだもの、勘違いの極地である。
早く立ってほしいと思うが、立ったら立ったで、手が届く限りのものを
ぐっちゃぐっちゃにされるからすごいぞ。
早くしゃべらないかなあなんて思っていると、しゃべるようになると
本当にうるさいぞ。
早くあんよができるようになるといいな、なんて思っていると、どこに
行っちゃうか一時も目が離せなくなるぞ。
全て勘違い、幻想である。
いっそおなかの中に戻したいと何度思ったことか・・・。
てなわけで、出産劇に続いて、今度は塾長の勘違い子育てをお話ししていきます。
塾長の出産した助産院では、生まれて直後は胎児の体から毒素を出すため
1昼夜くらい絶食させます。
この時間が最後の休息。
翌日の夜、助産師さんがカラカラと赤ちゃんの入ったカートを引いてやって来ました。
「さあ、がんばってくださいね、それじゃ」にこやかに言って立ち去っていった。
・・・って、どうするの?、これ。
途方に暮れている間に泣き出しまたよ、これが・・・。
後で知ったんだが、赤ちゃんの泣き声というのは一番人間の耳に耳障りに届く
周波数でできているらしい。
ほんと、これを聞いて平常心でいられる人間はおるまい・・・。
えーんと、泣いたらおむつを替えて・・母乳を飲ませて・・ゲップをさせて・・・
飲むとすぐ出るからまたおむつを替えて、と・・・そうこうしているうちに
赤ちゃんが眠るので、ほっとすると、しばらくしてまた泣き出し・・・ふたたび上記の繰り返し。
と書くと何だそれだけかと思うかもしれないが、泣く『周期』が問題なのである。
塾長の息子の場合、だいたい1時間弱で泣き始めるのであるが、上記の作業に
新米ママは、もたもたと30分以上かかるため、ひと作業終えてほっとすると
もう30分以内に泣き出すのである。
当然寝てなんぞいれらない。
夜中の1時、2時、3時と翻弄されているうちに、もう完全に切れた。
『よおし、そっちがその気なら朝までやろうじゃないか』
寝れないと思うから悲壮感にひたるので、寝ないと思えばどうってこともない。
そう思うと途端に元気が出てきた。
ベットに座って、「さあ泣け」と息子に気合いを入れてしまう。
このままハイテンションで朝になり、さて日も高くなったし、息子も気が済んで寝るだろう・・・。
ところが、「寝ない」のである。
それどころか昼間もこのパターンを繰り返している。
いったい、この子の頭の中はどうなっているんだ?
結局、夕方少しまとまった時間を眠るだけで、昼も夜もずっと泣いているのである。
これには参ったね。
とはいえ、ここまでひどいのはだんだん落ち着いてくるのであるが、この後とんでもない
「夜泣き」の試練が待っているのであった。
2009-12-01
男の脳と女の脳。
男女平等が叫ばれて等しいが、男女を一緒にすることが平等ではない。
男女の違いを認めつつ、それに優劣をつけないというのが平等であると
言うことを結構みんなわかっていない。
塾長は、男と女は根本的に違うのであると、かねてから思っていたが
最近は科学の進歩で男と女の違いに科学のメスが入るようになって
だいぶ解明されてきた。
なんでも男と女は本当に脳の仕組みごと違うらしい。
人間の脳には、感情の部分と理性の部分があるらしいのだが男の脳は
ここを結ぶ橋が狭く、信号があまり煩雑に行き来できないらしい。
女性の場合はこの橋が太く、信号が自在に大量に行き来できるので
感情と理屈を自在に切り替えながら、それらを取り混ぜた議論を
矢継ぎ早に浴びせることができるのである。
男が口で女にかなわないゆえんである。
塾長の家でも、夫婦の間で食生活における野菜の大切さを巡って
議論をしたことがあった。
だんだんと議論で劣勢になった夫が言った
「そんなこと言ったって、うちのカレーにはにんじんが入っていないじゃないか!!」。
塾長の返事:「だってアタシ、にんじん嫌いだもん」
夫:「、、、、、、、、」。
女性は、感情と理屈を自在に切り替えながら、それらを取り混ぜた
議論を矢継ぎ早に浴びせることができる・・・のであった。
2009-11-02
ある日の夕食
息子が小学生だった時、国語の作文の課題で「ある日の夕食」というのを書かされたそうな。
そのときの息子の作文のひとくだりがこれである。
ママ:ただいまー。
パパ:お帰りー。
ママ:わあ、いいにおい。
パパ:今日の煮物は自信作なんだ、食べる?
ママ:食べる、食べる、おなかぺこぺこなんだ。
パパ:じゃあよそるね。
ママ:いただきまーす。
これを読んだ先生が、パパとママを間違えているんじゃないかと息子に尋ねたらしい。
もちろん、このままであっているのであるが、私が言いたいのは、私の家はいつも
こうではないということである。
塾長の家だからって、いつも男女逆転しているわけではないのである。
圧倒的な多数はこの逆であるのである。
それなのに、たまたまな一日を実に自然に見事に描かれてしまい、以後松江家では
主夫と働く母さんのいる家になってしまったのである。
ちがうんだって。
塾長の夫は普段は縦のものを横にもしない、ふつうの日本のおじさんなんだぞー!
2009-10-01
オー出産⑤「懲りないやつ」
怒濤の出産劇であったが、最高におもしろいのは、人間が
陣痛を忘れるというこの事実である。
本当にけろっと忘れてしまうのである。
あんなにひどい目にあったのに、本当にけろっと記憶から
抜け落ちてしまうのである。
体から赤ちゃんが出たとたんに、全て終わってしまい、瞬間
どんな痛みだったか全く忘れてしまうのである。本当である。
助産師さんが「男の子ですよ」と言ったときには、そうか
じゃあ次はなんとしても女の子だぞ、と次に産む決意を新たに
しているのである。
30秒前までうなっていてだよ。まさに懲りないやつである。
だけど、考えてみたら、こういう仕組みになっているからこそ
二人目を産むことが人間はできるんじゃないんだろうか。
産んだ後もあの陣痛を覚えていたら、もう次を産もうなんて
思わないよ。
忘れているから妊娠できる訳よ。
そして、陣痛のことなど、全て忘れて、性懲りもなく、下の娘を
産むことになり、さて、出産が近づき、陣痛がまた
「襲ってきた」時にうめいた。
「しまった、これだったか、、、、、」
思い出したのである、これから出産までどんな目に遭うかを、、、、。
(オー出産シリーズ おわり)
2009-09-01
オー出産④「教科書と違う!」
それは突然にやってきた。
いきなり破水である。
まだ最初は塾長も落ち着いていた。
陣痛も何もなしにいきなり破水しても、これは「早期破水」であり
子供の頭がじきににふたになって、破水は終わるが、羊膜が
破れているので,感染の危険があるから云々、、、、と、すぐに
教科書の記載が浮かんだものさ。
ところが、トイレで破水した水を見て驚いた。
緑色である。
そんなはずはない。
羊水は透明なはずである。
教科書のどこの記載を思い浮かべても(全部暗記していたが)
緑色だなん書いてない。
そこから先は出産まで8時間くらいあるのだが、時間の感覚が全くない。
助産院にとりあえず駆け込み、助けを求めたのはいいが、おそってきた
陣痛は(襲って来るという表現がぴったり)、「痛み」なんてものじゃない。
似たものを探すとすれば「敵機襲来」である。
何分かの感覚をおいてくるのであるが、まさに「来るぞ!」という感じで
襲ってきている間は、嵐の海を漂う木の葉のような心境である。
何もできない、教わった呼吸法もリラックス法も何もあったもんじゃない。
息を吐いているのか吸っているのかすらわからなくなってくるのである。
結局、息子はへその緒を何重にも首にまいて、生まれる前からいきなり
世をはかなんでの首つりである。
そうはさせじと、駆けつけた主治医の先生が、バキューム(トイレの
目詰まりを吸い出して直す機械のようなもの)で、息子の頭をくっつけて
無理矢理引っ張り出したのである。
かくて、息子は自殺未遂で終わり、無事にこの世に生まれてきたので
あったが、しばらくは頭が引っ張られたなごりで、頭がのびてしまい
頭のうえにもう一つ頭があるような形になっていた。
見せられた時はぎょっとして夫とともに口パクになり、看護士さんの
「大丈夫よ、すぐ治るから」
と言う言葉も信じられなかったものである。
しかし、不思議である。数時間後には丸い頭になっていた。
そして、出産後妊婦が2時間は安静にしているために用意された
ベッドで、実際にひっくり返っていたのは夫であった。
精も根も尽き果てて寝ていた。
(続く)
2009-08-02
オー出産③「姑から嫁への遺伝?」(閑話休題)
さて、修羅場の出産場面に行く前にひと休みである。
塾長の長男は、予定日が来ても全く生まれる様子がなかった。
3日、5日、だんだんと笑い事ではすまなくなってくる。
10日をすぎたときには、待ちくたびれて、もう精神的に苦しく
なってきた。
フルマラソンのゴールを少しづつうしろにずらされていてずっと
走っているような心境である。
検診にいっても何の気配もなし、2週間をすぎた検診に心配して
付いてきた夫が真顔で助産師さんに一言。
「私の母も私を産むとき半月遅れたんですよ、やはり遺伝ですかねえ」
何で姑の体質が嫁に遺伝するのよ、と塾長は思ったが何も
言わなかった。
あまりに夫がまじめな顔をしていたからである。
そしたら助産士さんが大まじめな顔で解説していた。
「遺伝というのは親子で起こるものですから、奥さんに遺伝する
としたら、奥さんの方のお母さんの体質ではないんでしょうか」。
これを聞いて、夫が言った。
「そうですか、おなかの中にいる赤ちゃんのせいかとおもったので」。
“なかなか生まれない体質”というのが、自分から、赤ちゃんに
遺伝したと思っていたのである。
(続く)
2009-07-02
オー出産②「優等生と劣等生」
あらゆる産婦人科医師とけんかをして、産むところがなく
ジプシーとなっていた塾長であったが、ひょんなことから
東京助産婦協会が経営している助産院が飯田橋にある
ことを知り、ここでめでたく出産の準備をできることになった。
そりゃあ夫の喜びようったらなかったね。
ただ、助産院というのは、介護者を一人出さなくては
いけなくて、この人と、本人はなんと合計48時間もの講習を
受けなくてはならないのである。
出産までの土曜日は全部つぶれた。
その中で、出産の世界では神様と言われている九島璋二先生
の講義を聴くことがあった。
当時もすでにおじいちゃまであったが、この人出産したことが
あるんじゃないかと思われるほど、出産について本能的ともいえる
感覚を持っておられて感激した。
東洋的な思想と合致したいわば出産哲学とでも言うようなものである。
塾長は感激して必死でノートをとっていたのであるが、九島先生が
こう言った。
「出産というのは本能の世界なんです。こういう講義をしているときに
へらへら笑ってぼうっと聞いているような女性がいいお産をするんですよね
一番危ないのが、必死でノートをとっているような人なんですね」。
ノートをとる手ごとフリーズである。
出産ではどうも劣等生が優等生で、優等生が劣等生で終わるらしい。
その言葉の真実は、後に身をもって死ぬ思いで味わうことになるのだが
そのときは「何を言っていやがる」と思って、やっぱりノートをとるのを
やめなかった。
それどころか、悔しいから、塾長は、この九島先生の出産についての
著書を全部買いあさり、その中で一番、出産のマニュアルっぽい本は
章ごとにナイフで切って分冊して、もって歩き、全部暗記してやりましたよ。
これで完璧。
司法試験並みの勉強をしたからね。
と、自信満々だったが、これらの知識が実際の出産では見事に
何の役にも立たない事をじきに思い知らされるのである。
そして、あれほどけんかしてきた医者に助けてもらうことになることも、、、、。
人生は全く皮肉なものである、、、、。
(続く)
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